〜タイのバンコクで知った日本の大地震〜
(世界の人たちからのお見舞い通信に感謝)
東北地方太平洋大地震で被害を受けられ、また尊い人命をおとされた方々に、心から深い哀悼の意を申し上げます。 黙祷・・・
この地震の第一報を受けたのは、タイのバンコクでした。
丁度バンコクで3月9日から11日まで開催された、VIV ASIA2011の畜産水産の展示会に出展社として参加し、多くの来訪者と商談中でした。
東京の事務所から「東京に大きな地震が発生し、交通が麻痺状態になりそうだ」との断片的な知れせだけで、東北がマグ二チュード8.8(その後9に変更)、震度7の大地震の直撃を受け、そのすぐ後あの大津波が押し寄せ家も人も車も船もアッと言う間に街もろとも呑み込んで破壊したニュースの報はありませんでした。
この津波が押し寄せる迫真的なニュース画像を実際に知ったのは、夕食を摂ったタイ料理レストランのテレビでした。
その画像を見た瞬間、私は思わず体が硬直ししばらく動けなくなりました。
タイ語での放送で言葉の意味は分からないが、画像は押し寄せる大波に街が姿を消していく状態を、的確に捉えていました。
「大変な災害ですね」夕食に招待してくれた、タイの代理店の社長は言葉を詰まらせました。
遠い異国のエキゾチック料理を食べ、外国語の渦の中に身をおいていますと、テレビに写された画像の現場は、はるか遠い国のことで、今滞在しているこの国とは関係のない、またすぐに被害が及ぼさない、身近の出来事にはなかなか感じられないものです。
「日本は地震国ですから、慣れていますので」と答えたものの、この津波の画像は半端ではないとの印象はますます強くもなりました。
ホテルの部屋のテレビスイッチを入れ、NHK国際放送にチャンネルを合わせ、もっと具体的な情報を得ようと思いましたが、国際放送は全て英語、また時々韓国語、中国語などのサービス放送がとりまじリますので、的確な解説が分かりません、また画像も一つのものがリピートされて映し出されているので、東北地方全体の状況が分からず仕舞いでした。
翌日早朝に起き、再度NHKを見ますと、被害は東北東海岸全てに被害が及び、死者が1000名を越えるとの放送でした。
しかし画面に映る映像はその数字を大きく上回るに違いないと思う、凄まじいもので各地の状況を次々と伝えています。
現在は日本の新聞も伝送され、タイの新聞社の輪転機で印刷され、ホテルに早朝届けられます。
私には読売新聞のタイ版が配達され、その紙面は詳細に昨日の大災害を報じ、その記事を隅からすみまで、食い入るようにむさぼり読みました。
その日、午前8時10分バンコク発のフライトで、東京成田空港に日本時間の午後4時過ぎに到着する予定の飛行機を予約していました。
昨日の大地震が関東地方、ことに茨城、千葉に影響をもたらしていると、新聞で知ってましたので「成田行きは大丈夫ですか?」チェックインカウンターで聞きますと「問題なく飛びます」との返事で安心、予定どうり4時過ぎに日本の土を踏み少なくとも7時には自宅に帰れると想定しましたが、それからが思わぬ事態の展開になりました。
成田空港を使用するときのアクセスは、横浜往復のリムジンバスかJRの成田エクスプレスかを利用しますが、最近バスが老人割引で片道2000円と安くなりましたので、バス利用が多くなっています。
ところがこの日、バスも成田エクスプレスも全て運休、さらに一般のバスもタクシーもほとんど利用が出来ないことを知りました。
同行していた社員ともども帰宅の便を探しあぐねる事態が生じました。
私たちはタイにいて被害のほどが感覚的に分かりませんでしたが、日本に到着し早々に昨日の地震がただならぬものであったことを、体験させられることになったのです。
ようようJRの在来線が、東京まで1時間に1本でていることを知り、到着後2時間経過し電車の人となりました。
無事帰宅したのが約10時、成田から横浜まで6時間かかったことになります、ちなみにバンコク成田の間の飛行時間は5時間30分です。
さて、災害地への救援物資が交通事情などで届かない報道に接します。
被災者の皆さん方の空腹と寒さに耐える姿に心を痛めます。
ところでこれは報道されませんが、東北地区には沢山の乳牛、肉牛、豚、採卵鶏、ブロイラーが飼育されていました。
これらの生産物の消費地は東京でしたが、これらの動物がいま悲惨な状態です。
被災者にも届かない物流は、動物の餌は後回し、まして八戸、茨城県鹿島の飼料コンビナートは操業停止、釜石、宮古など飼料の陸揚げ港は壊滅、こんな状態で多くの豚、鶏は餓死するのを待つしかない状態です。
勿論、電気も水道もなく、現代畜産は装置産業化し、ハイテク技術で管理されているところが多いだけに、畜産へのライフラインストップの被害は甚大です。
今回の災害は世界中の国と人々へ、大きな衝撃となりました。
私の会社は小さく海外との付き合いも少ないですが、こんな小さな会社へも、あらゆる国の方たちから、お見舞いのメール、ファックス、電話、中には義援金の申し込みもあり、世界の人々の温かい心にただただ感謝です。
「日本人は必ず復興する、強い民族だから」と励ましの言葉も多いです。
ありがとうございます。