〜人口の60%が支える農業、低い生産性の問題点〜
(酸化鉄土壌の改良に天然フミン物質の力)
インドの国を地図で見ますと、ヒマラヤ山脈を底辺とした逆三角型で、インド洋に突き出した先端南部の中心に、カルナ−タカの州都バンガロール市があります。
インドで三番目の大きな都市で、700万人の人口を抱え、工業の発展地区として有名ですが、今はハイテク都市としての認知度が高い高原都市です。
インドの中央に連なるデカンタ高原の南の端で、標高が920メートルと、日本の軽井沢に似た高さで、暑いインドの南部では、過ごしやすい湿度の少ない快適な街の印象が特徴です。
ところで、こんな快適さも気候だけ、街中は騒音と塵埃、ガソリンの臭いとごみの腐敗臭、道路上はトラックとバス乗用車が群がった渋滞、その間を縫うように走るバイクと、小さな三輪オートのタクシーリクチャー、、あふれかえる路上歩行者の群れ、その中を悠然と牛が歩み、犬が駆けずり回る、道路わきにはホームレスが住まうようなバラックやテントで、一家が食事をしている、ところどころに緑の木々に包まれた豪邸、そんな光景が走馬灯のよう目に入る、これがインド第三の都市の実態で、ごじゃまぜのどんぶり飯、めちゃくちゃな無秩序状態は、まさに戦争です。
こんな街の郊外の静かなホテルに5日間宿泊し、市内にある取引先の会社、会議やレセプションを開く市中のホテル、予約したレストランなど、すべて街中へ車で移動をしなければならず、その都度、街の雑踏の中でいやと言うほど時間を浪費させられました。
「インドは暑くて、食事に注意し、体を壊さないように」出発前、多くの人たちから注意をされた初めてのインド訪問でしたが、暑さと食事には心配はいりませんでした。
しかし人、人また人と、あふれかえる人の多さに驚かされ、車の渋滞と狂ったように鳴り響くクラクションには閉口した1週間でした。
海外出張の経験もかなり多く、違った文化や風習、国々の事情による交通の不便さや、独特な食事の味や臭いにも、抵抗感のない私ですが、毎回のように100メートルに10分以上掛かる進まない車と、隙間さえあれば割り込んでくる運転マナーの悪さには驚きました。
まさに、喧騒の世界です。
これも発展途上の過度期の現象で、こんなエネルギーが将来の国の発展に繋がると、見たほうがよいかもしれません。
そのように世界の新興国の中でも、インドはこれから大きな期待がもたれている最大の国の一つです。
やがて12億に達する人口の多さは、10年後は中国を抜いて世界1と予測されますし、国の面積は330万平方キロと、南アジアでは最大です。
英語が共通語であり、指導的立場の人たちの教養と教育度は高く、欧米との交流も盛んで、経済観念も優れていて、2010年のGDPも世界11位、日本円換算で120兆円と、新興国インドの評価は決して悪くありません。
さて私の今回のインド訪問はインドの農業視察です。
バンガロール市内にある農業大学や、天然有機物医薬の研究所、郊外の農場、養鶏場、さらに200キロ離れたハーブ薬草栽培農場など、短時間の中、可能な限り歩き回った視察でした。
もっとも、農業、畜産経営に貢献する資材、弊社の「天然フミン酸」「フルボ酸」の使用実態の調査も含めての訪問ですので、かなり末端の農業実態を目の当りに見、討論する機会にも恵まれました。
インドは農業国です、人口の60%以上が農業に従事し、農地面積も国土の60%近く、1億8000万ヘクタールで世界の2位となります、ちなみに日本は440万ヘクタールですからざっと40倍、日本の実質の農業人口も3.4%ですから、インドの農業に掛かる比重は高く、GDP比2010年度で14.4%と、重要な産業です。
しかしインドの農業は大きな問題点があります。
まず1960年代の食料不足の経験から、緑の革命の旗印の下、多収性追求に走り、化学肥料と化学農薬の多給で、今日の農業形態と収穫目標、作物品種と作業様式が出来上がってきたと考えられます。
日本もそうでしたが、第2次大戦後の食糧危機に対応し、農作地に大量の化学肥料を撒布し、品種改良で増産させ、病気発生には農薬の開発を急がせ、総力を挙げて食糧増産に拍車を掛けた時代がありました。
その結果多収穫の農産物となりましたが、農地は化学肥料と農薬など化学物質の混在土壌となり、残留農薬を含め問題が発生し始めてます。
インドがまさにその轍を踏んでいて、現在の農地は、化学肥料と農薬に汚染され、病虫害の発生と不安定な収穫に悩まされているようです。
インド農業の収穫高は、他のアジア諸国と比較してもかなり低く、全ての穀類の平均収穫高は同一面積換算で日本の50%しかなく、中国、韓国などと比較しては、その差はもっと大きく45%にしかなりません。
その理由のいくつかにあげられるのは、農民の勤労意欲と知識の貧しさ、農業指導の不徹底などがありますが、もう一つの要因に、土壌の固形化があります。
すなわち単粒構造で硬くしまり、保水性、保肥能力が悪く、空気流通が少なく土壌有用微生物の活性が少なく、作物の根張りが弱く成長が悪く活力がなくなります。
弱い作物は、病気が発生しやすく、その対策のためさらに農薬を使用する、収穫量が悪いので化学肥料を多給する、この悪循環がインド農業の根本問題になっているような気がします。
さらに、収穫量の低さを認めざるを得ない最大の理由に土質があります。
インドの土の色は赤茶色です。
今の日本では使われなくなりましたが、少し前、家の塀などに赤茶けた土を使う土塀があり、その赤茶けた色を私たちは「ベンガラ色」と呼称しました。
沖縄の首里城を見学したときも、このベンガラ色の壁だったと記憶しています。
ベンガラ色の語源が、インドのベンガル地方の土の色から来ていると後に知りましたが、ベンガルだけでなくインド全体の土の色が「ベンガラ色」なのです。
さてこの色は何からか来ているかと調べますと、鉄分、アルミ分など
水酸化物が多い酸化鉄の貧栄養酸性土壌で、亜熱帯地帯に多く見られ、
その名前を「ラテライト」と言います。
私は自分の手でそんな土壌の本当の状態を知るために、あちこちの農場に
入り込み、土に触り、掴みとって、手のひらに感ずる水分や硬度、
ざらつく感触を確かめてみました。
日本の肥沃な団粒構造の土壌と比較し硬、く柔らかさは微塵もなく、有機質の臭いは皆無の無機質な土に、収穫量が大幅に違う要因をそこに見つけていました。
なかには私の手の力では、掘り返すことができなかった、コンクリートのような硬さの土の農場もありました。
この乾燥しやすく硬くなる土の性質を利用し、日干し煉瓦があちこちで造られている光景も目に留まりました、農家の家屋の壁はこの日干し煉瓦、屋根はニッパ椰子の葉っぱ、この地方が地震がないことが、唯一の幸運といえる構造です。
「土が驚くほど固いですね」私の感想に
「土の性質もありますが、化学物質のやりすぎで土に弾力性がなくなった」と答えた、農業指導者もいました。
こんな赤土土壌か、あるいは水分はあるが粘土質の積んだ重い土で、空気のない栄養質のないやせこけた農地にも入り込み、手で掴んで土の感触を試してみました。
日本の黒くふわふわした、黒ぼくの土に馴染んでる私たちには、この地の農業の貧しさは、土壌の貧しさから来ていると思わざるを得ませんでした。
私たちを案内したのは、インド原産のハーブや健康食品原料、天然染料、天然の食品添加物、香料アロマのエッセンスの原料、このような機能性植物の生産を行っている、オリーブライフサイエンス社で、「ターメリック(うこん)」「クローブ(ちょうじ)」「アリーカ(びんろうじ)」「フェンネル(ういきょう)」「ジンジャー(しょうが)」「バイオルテイン(マリーゴールド)」などの契約農家農場を、会社社長の案内と解説で見せてもらいました。
契約農場主の素朴な対応と、日本からはるばる訪ねた年配者に対する礼儀は全て心温まるもので、どの国でも農業従事者は駆け引きがありません。
そんな態度に私たちも、知らずに両手を合わせ合掌し、お礼を述べますが、お世辞にも豊かな生活とはいえません。
聞くところによると、インド農家の平均耕作面積は2エーカー(8反、8000平方メーター)で、貧しい農民の収入は年間に日本円で4万円から5万円で生計を立てている人もいるようです。
そんな中で、オリーブ社の契約生産農場の総面積は、1農家2エーカー平均で5000人の契約農家があるようで、総面積は1万エーカー(400ヘクタール)となり膨大です。
1農家あたり平均収入は年間2000−3000US$と言いますから、日本円で16万円から24万円と安定しています。
しかしそれでもオリーブ社から見ますと、面積あたりの収穫量に不満があります。
また病気発生の危険性も見落としできません。
その解決のために、無農薬、無化学肥料で収穫量を確保する目的で、使い始めたのが私たちが紹介した天然有機酸のフミン物質です。
フミン酸、フルボ酸の商品は、すでにインドではポピュラーで、色々な商品が出回っていますので、私たちが紹介するまでもなく、農民はこの名称はよく知っていました。
ところがそんな環境のなか、私たちのフミン物質が大人気となりました。
理由は簡単、最も効果が上がり驚くほどの成長記録を出したからです。
さらに価格的にも納得できる収益性があり、契約農場以外の米、麦、とうもろこし、サトウキビ、イモ類、綿花、さらにココナッツ、バナナなどの果樹植物への投与も試されるようになりました。
なぜ成績が上がったか、答えはこのインド独特の土壌の問題点を緩和したことでしょう。
ことに消化されず邪魔者であった鉄分のキレート吸収により、作物の元気と収穫量が飛躍的に上がったことと、土中微生物の活動、保水性の回復、肥料の吸収など、死んでいた土地が生き返り、作物が生き生きしはじめたことです。
すなわち、この土壌に最も適した、天然有機酸フミンの電解質機能が、最も効果が発揮できたのでしょう。
さらに多給していた肥料が固形化し、未消化であったものを、分解、溶解し植物が吸収しやすくした功績は大きいです。
「インド農業の革命ができる」喜びのあまり、私たちに感謝した指導者もいました。
契約農家が200人ぐらい集まった会場に招待され、特別来賓として華麗な首飾りを頂戴し「日本とインドの友好をもっと高め、農業発展に貢献したい」と挨拶する私に、握手から握手と何人の農民の手を握り合ったか、記憶にないほどでした。
会場を後にする私たちに、大きな拍手の嵐が起ったのはその後でした。
来年、再来年と、インドの農業が少しでも変わることを願って、インド農業視察の報告を終わります。