大腸がんの転移と闘う

〜親友、故落合慶一郎さんへの鎮魂〜
(高血糖値、高脂血症が免疫力低下に)

12月6日私の友人、故落合慶一郎さんのお別れの会が、東京のある会館で行われました。

あまり広くもない会場は、250人からの出席者であふれ、故人の人脈の広さと、誰にも愛された人柄のよさをを髣髴させる、すばらしいお別れ会でした。

彼が亡くなったのは2012年の10月19日の夜、おりしも私は中国北京に滞在中で、この知らせを聞いたのはその翌日の20日、現地の人達と昼食の会食中でした。

知らせてくれたのは、故人が在籍していた業界紙の中国担当の職員で、たまたま私たちと同行していて、東京からの急報をその場で伝えられ、食事が一旦止まってしまう驚きでした。

彼が2009年5月に大腸がんの腫瘍摘出手術を受け、1年たたない翌年の3月に再発、さらに肝臓に転移し、それがかなり深刻な状態になっていると聞かされました。

彼は業界紙の社長も退位し、がん治療に懸命に取り組み、あらゆる抗がん剤投与と、治療に取り組みましたが、はかばかしくなく、今年の夏以降末期の症状になっていることを、私は承知していました。

しかしまだまだ闘病生活を続けるとの思い込みがあり、中国から帰ったらすぐに旅行中の話題をお土産に、お見舞いする予定にしていただけに残念でした。

彼に中国の話をお土産にしたかったのは、彼と私は中国へは数回一緒に旅をし、食品会社や健康食品関係の業界などとの交流を、親密に行った過去があったからです。

ことに彼の業界紙は、食品添加物と健康食品に関する新聞雑誌などを出版する専門誌で、中国のその業界のリーダーたちとの交流も深いものがありました。

その中の一つ、中国で有名な漢方薬の最大手「北京同仁堂」との付き合いもあり、その頃の会長に誘われ私と一緒に本社を訪問し、同仁堂医院の漢方中医学の名医に、私も彼も健康診断をしてもらったエピソードがあります。

そのときその名医は、彼の顔を見た瞬間「心臓が悪く、糖尿病があり、血管に脂肪が多く、ひざ関節に障害がある」と看破しました。

それを聞いて彼はそれ以上細かく診断されたら、もっと問題点を指摘されると恐れ、そのあと漢方的診断法の、手首の脈を見て診察する行為を断りました。

「参った参った、悪いところを見ただけで当てられては・・」

漢方医に指摘されたよう、彼は肥満体でBMIは30近く、赤い血色のよい顔色の、親しみやすい顔立ちですが、そのなかに病人独特な素人には分からない「気」が発せられていたのでしょう。

たしかに心臓病から糖尿病、高脂血症、足のひざ関節などに慢性的な疾患を抱え、驚くほど多種類の薬を飲み、絶えずそれらの病気と闘う生活を強いられていました。

ただ体に悪いと知りながらも、健啖家で酒もそれなりに飲み、さらに人との付き合いがよすぎて、毎日のように夜はお酒と美食とおしゃべりの連続でしたので、改善を求められている症状は一向に良くはならなかったようです。

中国でも仕事関係者の宴会で、アルコール分40%以上ある白酒を、勧められるままに乾杯を繰り反し、かなり酩酊していました。

「そんなに飲んでは体に毒だ」私が宴会途中でも、乾杯を控えるように注意しますと、

「中国の人たちは、乾杯を断ると嬉しくない、友好のためにも私は受けますよ」と答え、小さな杯とはいえ、大勢の人からの乾杯全てに付き合いますから大変でした。

いずれにしろ、お付き合いする人、同席する誰にも、不快な思いをさせたくない、そんな旺盛なサービス精神が逆に仇になり、彼の体を蝕んでいったのかも知れません。

2011年12月はじめ、私の会社に訪ねてきた彼は深刻な顔で「私のがんは治らない、今担当主治医と喧嘩してきた」と興奮気味に話し始めました。

「大病院の担当していた医師達に、ほかの病気も含め、すべて彼たちに私の健康管理を任せていました。それなのに大腸がんが大きくなるまで発見が出来ず、手遅れにしただけでも問題なのに、手術が成功で腫瘍は全部摘出したといいながら、8ヵ月後に転移がんが見つかり、手術も放射線治療も出来ないので、抗がん剤で対応しますから安心してください。
といいながらがんはどんどん進行している。その転移がんが進行するのに対策が立てられない、どうするんだと私は怒りました」

聞いていて、彼の心の苦しみと苛立ちがそのまま伝わってきます。

不治の病といわれたがんが、早期発見を含め、あらゆる治療法が進歩した現在、多くの人達ががんと闘い、社会復帰している現実があります。

それだけに彼も医者の言葉を信じ、回復を疑なかっただけに、怒りは心の叫びとなります。

「友人のなかには、医療ミスで訴えろと言う人もいる、この大病院の診断と対応に問題がある」

彼の怒りは収まりません。

それは命にかかわる、生命を担保にしての医療との闘いだからです。

しかし聞いている私の心の中で、彼の意見に同調するよりも、憐憫を感じる気持ちがわいてきたのを抑えられませんでした。

というのも医療のミスを検証するのも難しいし、がんの発見も手術の稚拙さも、何も証拠も証明も出来ず、治療に使用できると認可された抗がん剤の全てを使用しても、彼のがんは抑制されない状態になっていることは、彼の体の抵抗力と普段からの健康管理にも要因があったのではないか。

医者たちはパーフェクトな対応をしているかもしれませんが、がんは罹病した患者の免疫力と、抗がん剤などが有効に働くDNA遺伝子などによって、違いが出るとも聞いていますので、不幸にもその両方に問題があると、がんは進行するようで彼もその一人かもしれません。

それは残念なことに、がんを抑制する体力や免疫力などが十分に働かない、彼の体の生理的条件にあるのかも分からないともいえることです。

その原因は、中国同仁堂で指摘された、糖尿病、心臓病などと、美食を取り続けた肥満が、がんに対する免疫力と体の抵抗力を奪っているのかもしれません。

「私たちグループで開発した『大豆ペプチドのルナシン』を飲んでみますか」と彼に聞きますと「それは何ですか、とにかく医者には何でも好な方法をやってよいと言われているので」

「これは欧米などの文献で抗癌剤として効果があると検証されたもので、台湾の友人の林博士が大豆の中から特別な方法で抽出した、機能性の高いペプチドたんぱくですが、目下糖尿病や高脂血症、高血圧などの予防を目的にテストを始めたもので、私もモニターのつもりで飲んで調子がいいです」

「資源微生物研究所の林博士のものなら、安心して飲めるし期待が出来る、ぜひ頼む」

と言うことで1か月分渡した3週間後「驚く結果が出て、医者もびっくりしている」と血液の生化学検査の数値表を持って来社されました。

その驚きの内容の第一番は糖尿病でした。

それまでの血糖が270近い数値であったのが120に、HbA1cの7.7が6.0に急変してたことです。

また中性脂肪(TG)の数値211が98に変化もしていました。

ただあまりの早い変わりように、私も疑問を持ちましたが、大病院での血液の生化学検査の数値だけに、その事実は間違いない数字です。

その後彼は、一ヶ月に一度の検査結果のコピーを持参して来社しました。

血糖値と中性脂肪の数値には変化がありませんでしたが、残念ながら肝臓のGPT、GOTの数値が、月ごとに大きくなっていくのを、低くすることは不可能でした。

それは、大腸がんの転移が肝臓の細胞にがんを発生させ、肝機能を蝕んでいたからでしょう。

「肝臓の転移だけでなく、腹膜にも転移しその腹を触ると塊に触れるのだ」

こんなことを言い出したのは、今年の6月頃でした。

その頃は好きな酒はもとより、食事も多くは摂れない状態にもなっておりましたが、元気に私の事務所に来て、大豆ルナシンで治すと、生への意欲は衰えていませんでした。

「足がむくむのだ、またひざ関節が痛む」というので

「フルボ酸液を足に塗りませんか」と私どもが扱う、天然有機酸のフルボ酸の原液をプレゼントしました。

このフルボ酸は食品としても認可されているものですが、農作物の成長促進と、病気対策に好評を得ているもので、畜産飼料としての登録もある、天然産物として有効性が注目されているものです。

欧米の研究論文には、抗がんの力から、細胞の代謝、アトピーの治療、ウイルス性の病気予防など、かなり広範囲の薬効効果をうたったものが多いですが、私どもは農畜産の成長促進剤として広報をしています。

その効果は翌日の電話で知らされました「足に塗ったら、むくみが消えた、ひざの関節にすり込んだら、今朝はとても調子がいい、これはどうして効果があるのか?」と、喜ぶ声が電話口に響きました。

しかしこんな状態も、一時の小康状態で、がん細胞は次第に大きくなり、足がむくむ状態から、腹に水がたまる状態にまで進行していました。

8月の下旬ごろ、一緒に夕食をしたいと彼から誘いがあり、面会した彼のお腹は太鼓腹の状態で、そのむくみは睾丸にまで達し、椅子に座ることもままならない状態でした。

それでも、何とか一般人と同じ生活をしたい、まだやらなければいけない仕事があると、今は相談役に退いた業界紙の事務所に出勤、入院を拒んでいた彼に私は

「一度入院して、腹にたまった水だけでも抜いてもらい、それからまた会社に行ったらどうですか」と勧めました。

それがきっかけで、病院生活となり、私も病気見舞いに訪問すると「あなたの大豆ルナシンとフルボ酸のおかげで、体の調子がいい」と喜んでいましたが、肥満体の体はかなり細くなり、病状の進んでいることが誰にも分かる状態でした。

ただ足や腕の皮膚も顔も、つやつやすべすべして血色もよく「病人の顔色ではないよ」といいますと「フルボ酸を全身に塗っているので、すべすべするし色が白くなった」とその効き目の実感を語りだしました。

それが私との最後の面会で、転移したがん細胞は肝臓から腹膜の中全ての臓器を蝕み、彼の生命を急激に縮めました。

人との付き合いを大事にし、嫌な顔をせずに誰にでも親切に接した、サービス精神が旺盛な彼は、死期が近くなった転移ガン末期でも「治ったら一杯飲みに行こう」と見舞い客誰にでも約束をしていたようです。

その彼が72歳という、長寿社会の中では早すぎるといわれる年齢で、黄泉の国に旅立ちました。

あと数日で2012年も終りです。

それでなくとも年の終りはなんとなく寂しいものですが、もっとも親しかった落合さんがいない年末は、ことに寂しい気がします。

彼の冥福を祈って、今年のメールマガジンを終わります。

来年もどうぞよろしく。