あと何年生きられるか、寿命と余命を考えよう

~厚労省発表の平均寿命と平均余命からヒントをいただき~
(平均寿命の長さは乳幼児の死亡率の低さ)

中年と呼ばれる40歳過ぎた頃、何となく自分の寿命はよくて80歳ぐらい、
すでにその半分を過ごしたのだと、漠然と考えたことがあります。

20歳代、30歳代ではあまり自分の年齢や寿命を意識することのなかった
若さでしたが、40歳の坂を超えたとき体力の衰えをおぼえて、
年齢を意識するようになったのでしょう。

その頃、昭和47年(1972年)の厚生省の発表では日本人男性の
平均寿命は70.5歳との統計数字でしたが、それよりも長生きする
だろうと根拠はありませんが自信がありました。

自信というより予感です。

予感というより希望かもしれません。

誰でもが長生きしたい、結婚して子供を得て仕事をバリバリこなし、
収入を増やし豊かな暮らしをし、悠々とした老後を送り人生を
終わりたい、こんな夢を描きます。

それには中壮年期は健康な体質でなければいけない、また健全な心と能力を
もち経済的にも安定し、その人生設計から自分の寿命を想定して、
80歳ぐらいまでは生きられると考えたいものです。

ご存知の様、昔から人生50年と謳われた男の寿命ですが、昭和50年から
60年時代、生活様式と栄養や医療が進歩し、経済的にも発展してきた
日本の平均寿命はかなり延びつつあった時代です。

私もその伸びつつある寿命を享受し80歳は難しくないと想定もしました。

それから10年後、50歳を超えた頃、50歳で脳出血で亡くなった母親の
ことをふと思い出し、母親が亡くなった年齢に私も到着した、
その遺伝子を受けついているとしたら、私の寿命も血管系の疾患で急逝
するのではと、なんとなく不安がよぎったりしました。

母親が亡くなったのは昭和20年6月、その2か月後1945年の8月に
日本は敗戦しました。

母親は敗戦を知らずに昇天し、必ず勝つと信じていただけに、敗戦を知らず
幸せでした。

すでに戦争末期、敗戦の色が濃厚で世の中も混乱してた昭和20年、
健康管理もできなく血圧測定もせず体に無理を重ねた結果50歳で
血管系の疾患で亡くなりました。

そのころ当然日本人の平均寿命の正式な数字などはありません。

想像すると若い人が兵士として戦場で散っていった時代、もしかしたら
平均寿命も50歳を切っていたかもしれません。

その2年後の昭和22年から厚生省(現在の厚労省)が日本人の平均寿命を
発表したデータがあります。

男性が50.06歳女性は53.9歳との数字です。

おそらく昭和20年もそれに近いような数字としたら、母親は平均寿命という
ことにもなりますが、中学2年生14歳の私にとっては母親の死はものすごく
早い感じでいっぱいでした。

さて平均寿命とはどういう意味なのでしょうか、読み方によっては日本人の
生命が平均してそのくらいの歳まで、生きられるとも取れます。

ところで厚労省の平均寿命の割り出し方法は、その年に生まれた新生児が
何年生きられるかの数字で、言い方を変えれば赤ちゃんの平均余命で
期待値ということのようです。

赤ちゃんだけでなく各年齢の人の死亡数も計算値に入れ、各年代の
平均寿命を出してます。

それを平均余命と算出してるようですが、計算が複雑ですので細かい説明が
できません。

ただ言えることは誰でもがその平均寿命まで余命まで生きられ、その歳で
人生が終わるとの意味でなく、計算値の結果産出された希望的な年齢数字の
ようです。

たとえば2023年の男性の平均寿命は81.05歳で、女性は87.09歳ですが、
誰でもが80歳超える年齢まで生きられる証明ではありません。

昭和22年(1947年)の平均寿命が50歳代前半なのは、生まれた初生児や
幼児の死亡率が高かったとも言えます。

乳幼児や児童の死亡だけでなく、大人の寿命も短かったかもしれません。

ちなみに私は昭和7年(1932年)の2月生まれですが、その頃の医療制度や、
技術も今とは違い、乳幼児の死亡率は高かった思います。

平均寿命の発表も計算値もなかったでしょうが、もしあったとしたら
50歳より低く40歳くらいだったかもしれません。

それだけに乳幼児の死亡率が低ければ平均寿命は長く、死亡率が高ければ
平均寿命は短くなります。

今日現在でも、アフリカ諸国で多くの国の平均寿命が短いのは、乳幼児の
死亡率が高いことが要因です。

ところで寿命という言葉が持つ雰囲気は、寿(ことぶき)というめでたい
未来を想定する響きがあるので、誰でもが長生きが期待できる希望的な
意味があるのではないかと強く感じます。

だから今日現在発表される平均寿命の数字が高ければ高いほど、現在老境に
入った人たちの多くが希望的な期待値を待って嬉しくなります。

昭和20年代前半は、戦争から解放された若者の結婚ブームもあり、
昭和21年から数年間は出産ブームで、後に団塊の世代と言われた人たち、
平均寿命が短い数年が続いていた時の生まれ人たちですが、現在後期高齢者に
なり、健全で元気なことも平均寿命と余命が長くなっている原因です。

それは衛生環境と健康管理が向上したと喜ぶべきです。

それだけ戦後の日本は、人間の生命を大事にする意識と実践が功を奏した
とも言えます。

この傾向が続けばさらに年ごとにその数字は高くなり、厚労省の試算では
2050年代には男性85歳以上、女性では91歳を超えると言っています。

まさに人生100年時代が現実のものになってきます。

しかし現在と比べて減少するのは人口で、2050年には9000万人前後になる、
つまりは少子化が問題です。

65歳以上の高齢率が35%を超えた老人国になるでしょう。

ところで2024年現在、厚労省発表の日本人の平均寿命の長生き証明は
人口5000万人以上の世界の先進国のなかでは自慢できます。

この長寿社会は医療や生活環境、国民の健康意識の高さ、さらに戦争をしない
平和な国家を位置付けるもので、誇れるでしょう。

さて私の父親はどちらかと言えば長寿で、享年98歳で亡くなりました。

私が62歳の時です。

100歳も可能と思わせる健康体でした。

その遺伝子を受けついでいるとしたら私も長寿が予測されます。

とろが98歳で亡くなった父親と、50歳で亡くなった母親の死亡年齢を足して
2で割ると、良くて74歳かなとも想定もできます。

非科学的かもしえませんが、数学的に考えると当然な結論で、その時は
ふとそんな想念が浮かんだこともあります。

よく下世話に、あの家系は長生きだ、その逆に短命の人が多い家系との話が
あります。

実際その傾向はなんとなく現実にあるような気がします。

私の知り合いの中でも、両親や先祖が長寿だった人は元気で長生きしてますし、
早く死亡した人の家系は調べるとそれなりに短命の人が多いような気がします。

もちろん遠い先祖を調べると、遺伝子はいろいろ混ざっていて、長命もあれば
短命の家系からの入籍もあり遺伝子だけではないかもしれませんが、
長命の遺伝子が優勢ならばその家系は長命ですし、家屋構造や食生活や生活習慣
などの違いで家系的に長短が出るのかもしれません。

ところで昨年(2023年)の日本人の平均寿命は男81.05歳、女87.09歳で、
平均で84.07歳になります。

この数字も、2年前の2021年の平均寿命は84.63歳ですから、23年は0.6歳ほど
短くなっています。

何故かと言えばコロナの影響で、死亡率が増加した表れです。

それだけ、社会変化や経済環境、天災や温暖化、パンデミックや空気汚染
などの条件により、平均寿命は変化します。

本来の傾向とすれば、生活環境、衛生意識、健康管理、医療技能などの
向上があるので平均寿命は延びるはずですが、それを阻害する要因の第一は
戦争でしょう。

これは想定外としたい日本人の願望意識ですが、広い世界のどこかでは
それを許さない怨念が根付いています、それが歴史です。

さて命の尊さに戻しましょう。

厚労省の発表データの中に平均寿命ともう一つ平均余命があります。

余命とは各年代のこれから何年生きられるかの予測値です。

平均寿命と同じよう生きられる確証でなく統計的な希望値です。

ですから50歳まで生きた人は、それまでに亡くなった人を差し引いて
いるので、余命の数字に50歳を足しますと平均寿命より長くなります。

ちなみに男性では余命32.51歳ですから、50歳足しますと82.51歳と
平均寿命より2.5歳長くなります。

私も平均寿命の80歳を過ぎたころ、あと何年生きられるかと厚労省の
平均余命の数字が気になり始めました。

確か余命が9歳前後だったと思いますが、なんとなく88歳の米寿まで
生きられるのかと嬉しくなった気がします。

その米寿の祝いを過ぎいつの間にか92歳になりました。

80歳の時の平均余命9歳より4歳ぐらい過ぎています。

今の余命は4歳を下回り、ということは、私の命は長くて96歳となります。

中にはお世辞で「100歳までは大丈夫と」と励ましてくれますが、
これから100歳までの8年は、いままでの90年間生きてきた努力より難しい
かもしれません。

ただこのメルマガを書いている現在、腰痛で体の動きは苦痛ですが、
体調と認知機能は健全と思います。

このマガジンも可能な限り挑戦する気持ちです。

それもやがて終焉を迎えなければいけない現実が来ます。

それがいつなのか誰にも分かりません、私自身にも分かりません。

これが人の寿命ですし、余命を含め予測できないのが人の生命で運命です。

厚労省が全国民の生命管理の統計数字から平均寿命と平均余命を発表して
いることは、人々の生命意識を喚起することの指標となっているので
意義はあります。

私も昔は気にしなかった寿命や余命の数字が気になりだした高年齢に
なった時、この生命表を知り生命維持の目標にもなりました。

当然のごとく高齢になるたび余命の数字は毎年少なくなっていきます。

当たり前の自然の摂理です。

この自然の摂理と法則に従って無理に生命を伸ばそうとの努力はしません。

平均寿命と余命は念頭にありながら。

2024年3月27日
おくむら よしみ