~長寿社会の70歳は若い、それが行き過ぎるのは注意~
(頑固な自信家と自分勝手は老人社会には馴染めない)
むかし小学唱歌に「村の渡しの船頭さんは今年六十のおじいさん」
という歌詞がありました。
小学生の私は素直に60歳という年齢は「お爺さん あるいは お婆さん」で、
老人でお年寄りだとの認識を得ました。
ところで私が60歳になった時、白髪が増え腰が曲がったお爺さんになって
いない自分を発見し、さらに老人になったとの気持ちがさらさらない
ことに気づきました。
その60歳からすでに32年経過し、さすが今日現在は老人で後期高齢者で
足腰の痛みで歩行もままならない「おじいさん」だと認識していますが、
さていつから自分自身が、肉体上でも気持ちの上でも老人でお爺さんを
意識したかが定かでありません。
世間的に「お爺さん」と認めたのは70歳前に初孫ができ「ジジ(爺)」と
呼称される事になってからですが、まだ本人は老人との意識はありません
でした。
私だけでなく、現在多くの人が60歳になった時、なかには70歳になった
時でも、老人だと認識する人は少ないのではないでしょうか。
生活上では孫を持つ人もいて「お爺さん、お婆さん」と呼ばれる環境の
変化は認めても、老人だと思いたくないのです。
実社会でも定年は65歳、年金支給開始も65歳ですから、少なくとも
65歳までは現役で老人ではないとの思いです。
ただし65歳からは「前期高齢者」と呼称され、行政上では高齢者すなわち
老人仲間に入るのですが、その人たちの意識の中では老人ではありません。
昭和の初め60歳は老人との共通認識が、90年のあいだに大きく様変わりし、
肉体的にも精神的にも老人と意識する年齢は高くなり、「後期高齢者」と
呼ばれる75歳以上になり、ようやく老人意識を持つのが近頃の高齢者です。
そんな背景もあり最近巷でささやかれるのは、近い将来人口減で労働力の
不足を補うためか、また年金基金の先細りを心配してか、さらに70歳を
超えても現役で働いている人も多く、それゆえ行政的に70歳からが
高齢者とする機運があるようです。
たしかに最近の60歳や70歳は肉体的にも精神的にもまた見ためも若く
みえます。
本人もその気持ちが強く、人生これからだの意欲です。
実生活でも何か仕事をしていることが大切で、目的がないと不安になる
世代です
それだけに頑張り屋が多く頑張ることを美徳と思い、それが生きる目的で
信条となり、それが自信となり無茶をいとわないタイプになります。
この積極的な考えと行動が時として困りものです。
実際は体力も知的対応力も歳相応に衰え始め、視力は眼鏡を必要とし、
聴力も落ちています、シミやシワが目立ちはじめ、黒髪は白くまたは薄く、
これらは老化による変化でそれを本来は自覚する歳です。
また60歳から70歳を超えますと、同年輩の友人知人の訃報も多くなり、
中には伴侶を失う環境変化があるのに、まだ若いと思いたい気持ちが
矜持となっている前期高齢者も多いのです。
常識的に考えれば、人生百年としても50歳は折り返し、肉体的には下り坂、
まして65歳過ぎれば老人になる準備の時期、70歳代になれば老人で
あることを認め、それなりの意識と行動を知らずのうちに行っています。
子供は独立し立派な社会人、生活費も年金が主要だけど安定、心配事も
少なく80歳超えの終期の人生の生き方を計る歳です。
それができない頑迷で硬直な70歳過ぎの人達を私は多く見ています。
かえって頑なに自己主張が多くなった困り者達です。
本来60歳、70歳は社会人として円熟期、人に好かれ尊敬される常識人で、
円満な人柄を期待されます、それが頑固で自信過剰の偏った考えの老人と、
その逆に老人になったことを意識しすぎて社会と断然する傾向の人に
分かれます。
こういう人たちは、生活する社会から嫌われる初老の人たちとなります。
そうならないことが望ましいのですが。
私が知る嫌われ者の行動と発言などの例を少し申し上げましょう。
過去の仕事上での成功体験を自慢する人
年下の人に命令口調で用を頼み威張る
絶えず昔と比べて、今は駄目だと決めつける人
老人になっているのに体力を自慢をする人
状況がわかないのに自分の意見を押し通す人
自分の好み料理や酒の種類だけにこだわる自己中心の人
他人への悪口が多い人
たえず家族自慢をする人
自分本位の行動と考えにとらわれ、他人の意見を拒否傾向の人で、
結果的に親しい人ができません。
またその逆に、老人になったことで社会と一線を画し、地域住民とも
付き合わない、これも老化を早め知らないうち惨めな老後になります。
過去に失敗したことでくよくよしている人
年寄だから仕方ないと何でも年のせいにして責任逃れ
外出せず、人付き合いが減り、他人に興味がない
何事も面倒と思い、やる気を起こさない
社会や経済や文化に興味なく、テレビや新聞も見ない
感激することが減り、好奇心も持たない
だらしなく身だしなみに気を配らない
見るからに不潔で異臭を放つ
約束を守らず時間にルーズ
ちゃんとした挨拶をしない
自分だけの世界に入り込み他人には関心を払わない人たちです。
さて80歳過ぎの豊かな生活を求めようとしたら、まず健康で丈夫である
ことと、多くの人と交流を持ち笑顔を絶やさない、平穏な生活と性質で
いることです。
ところが60歳過ぎてからも、若いときと同じような生活習慣をつづけて
健康を阻害する人が80歳になるまで目立ちます。
生活習慣病と言われる、代謝機能の不全が目立ちます。
同じような病魔に襲われても50歳前でしたら早期の治療回復が可能ですが、
身体や細胞が老化し始めているとと症状は深刻になります。
健康を害するだけでなく、それが原因で命を縮める結果になった人を
多くみています。
カロリー過剰食の好きな友人は糖尿病と高血圧から血管障害を起こし
急逝したり、また食いしん坊の友人は糖尿病となり、最後はインシュリン
注射で生きながらえ、80歳過ぎた現在腎不全で病院通いです。
タバコ好きが仇となり肺がんで死亡した友人も3人います。
アルコール大好きな取引先の知人は、肝臓障害からガンとなり他界、
高校の友人は大腸がんが進行し治療不可能になり逝去。。
気の毒なケースは、青少年時代予防接種などでC型肝炎ウイルスに感染、
長い潜伏期間を経過し60歳過ぎに発病、長期間の治療の甲斐なく
肝硬変や肝臓がんで他界した友人や知人が私の世代には多いです。
ことに活性酸素が原因の細胞のサビ、糖類や炭水化物好きがおこす体の
糖化とコゲ、この2大生活習慣病が原因の疾患は60、70歳は目立ちます。
肝障害や高血糖、高尿酸値、高コレステロール、高血圧などの慢性疾患は、
医者から厳しい注意を受けながら治療できず、最後には病が進行し精彩を
無くした方もたくさんいます。
学生時代スポーツ選手として鳴らした偉丈夫は、70歳前後から認知機能が
退化し、ついに75歳前に介護施設の人となったケースもあります。
脳血管障害での後遺症、アルツハイマー、レビー小体型認知症など含め、
70代後半から80歳代と増加し、90歳代になると認知機能の衰えはますます
増えて統計的には50%となります。
これらの多くが、60歳まで元気で肉体も頭脳の回転もまともだったのが、
80歳に到着する前に起こしている現実です。
ことに70歳過ぎから親しい人がいなくなり、外出もせず家にこもり、
話相手もいない状態が、思考力も判断力も低下させ、認知機能の衰えが
進行するのも原因のようです。
それゆえ、この「前期高齢者」時代の生き方の良し悪しが80歳過ぎの
「後期高齢者」の豊かな生き方に影響するのです。
豊かな生活を送る心がけは、難しくはありません、そんな例を考えましょう。
老人になったことを素直に認め、無理をして若者ぶらない
身だしなみを整え身ぎれいにする、老人だから何でもよいと考えない
良い友人を持ち、可能な限り面会し談笑する
良し悪しにかかわらず、人のうわさ話をしない
人との争いは、できる限りしない
細かなことを気にしない
80歳後に生活する居住の周囲と仲良くし、役に立つ
社会活動(ボランティア)に機会があれば参加する
家族を大切にする
いくつになっても好奇心をもって新しいことを知る
運動やスポーツはできるうちは参加する
出来たら何か趣味を持つ
外出や旅行をする
明日やることがあり、また何をやるか考える
健康に留意し、身体を酸化や糖化から守る
食事は好きなものをバランスよく、アルコールも楽しく飲もう
最後に、できれば自分の能力、体力に合った仕事を持ち収入を得る
収入があることは現役意識となり、経済も気持ちも健康も健全となる
とにかく健康で明るく楽しい、60、70歳代を過ごせば自ずから健全で
楽しい80歳過ぎが待っています。
このような人は周囲から慕われ幸福な老後になり、さらに運気も上昇します。
それが100歳時代の第一歩です。
私の経験から、また周囲の人たちの生き方を見て感じた判断をしたためました。
2024年7月10日
おくむら よしみ