体験的な「コロナウイルス」感染発病と治療

~普通の流行性の感冒と同じ扱いの5類感染症のコロナ~
(弱いウイルスか発熱少なく、咳と単も少しの症状)

令和6年(2024年)9月13日金曜日、私は新型「コロナウイルス」に
感染しました。

この感染を知ったのは、同日の午後11時30分すぎ、私のスマホが鳴って

「女房がどうもコロナに感染したようで、咳が激しく熱を測ったら
38.5度、苦しがっているので緊急入院の手配をしている、
貴方は大丈夫ですか」

との「NPO法人愛のささえ」の理事長Aさんからの緊急電話でした。

彼が私の感染を心配したのは、その日この夫妻を含めた食事会で一緒に
夕食をいただき、同時にレストランへの往復をこの夫妻と同じ車両で
送り迎えをお願いし濃厚接触していたからです。

このAさんの夫人は、食事中も車の運転中でも、元気におしゃべりをして
微塵もコロナ感染の症状がみらず、別れてから3時間ほどしかたって
いない時の連絡だけにAさんの電話が冗談にも思えます。

「冗談ではないな、今別れたばかりで、奥さん元気だったのに」

「そうなんだそれで俺も慌てている」

「ということは食事の時も、本人は体調に異常を感じてたが我慢して
いたことになるな、感染は今日でなくその前で、今になって症状が出た
ということだな」

その通りAさんの話によると、この2日前の11日、地区のゴルフコンペが
ありAさん夫妻と同じ組の同伴者の一人が感染者であったようでした。

A夫人の感染はその時その同伴者からですが、本人はそれを知りません。

知らないまま12日が過ぎ、13日の夕食会に出席するまで本人も感染に
気が付かず、食事をし車の運転もしてました。

そんな元気なA夫人でもゴルフ疲れと仕事疲れが重なり、また車の運転疲れや
食事会での神経遣いなど重なって体力が落ちていたのでしょう。

すでに感染していたコロナウイルスが増殖し、帰宅してから体内で急激に
顕性化し症状として高熱と咳や痰となったのでしょう。

ところが同じコンペも一緒、また同室で起伏を共にしているAさんには
症状が出ませんでした。

その理由の一つは昨年彼は真正のコロナに感染し入院経験があり、
その免疫抗体がまだ働いていたから、症状が顕性化しなかったのかも
しれません。

さて私の感染を心配しての真夜中の電話ですが、もし感染していたとしても
どうすることも出来ません。

「明日の朝までどうなるか様子を見るよ」

こんな会話をして一晩が過ぎました。

翌朝に私自身の体調変化の様子を私なりに検診し続けました。

たしか朝7時には変化がなかったが、9時ごろになりなんとなく喉に
違和感を感じ、その1時間後には軽い咳が出るようになり、さらに喉へ
痰が絡む気配を感じ、発熱はなかったが昨晩の報告もありコロナ感染を
予感しました。

夕刻になり咳の回数が増え、身体が熱っぽく感じ測定したら37.2度ほど。

土曜日でもあり夕刻のこと、行きつけの医者の診断できず、
だが真正コロナに感染したらしいと家族に知らせ、自分の部屋に
閉じこもり隔離生活に入りました。

ところで昨晩A夫人からウイルが移されたとしても、症状が出るのが
早すぎます、常識的な潜伏期間が短かすぎます。

ただ考え方によれば、コロナに100%感染した状況だけに、コロナを意識
して体調の変化のいささかの違いも見落とさない神経があったので、
翌日感染から20時間でも自己診断ができたのでしょう。

さてさてそれから自己流のコロナ対策を実行し始めました。

幸い私はクローゼットを含めると15畳、30㎡のフローリングの部屋で、
私だけが使用するトイレを持っていますので、閉塞には適します。

家族のいな時を見計らいこっそりと自分で食事を作り、一人で部屋で
食べ食器をすぐ洗い、また使ったティッシュペーパーからタオルまで、
別のビニール袋に捨て密閉するなど、ウイルス拡散対策のマニュアルを
し始めました。

このように自己管理することで感染を拡散させない気持ちはありました。

と言うのもこの数年世界的感染で感染対策をいやというほど聞かされて
いたからでしょう。

その夕方Aさんと再度様子を話し合い、微熱が出たこと、咳が出たこと
など報告しますと、彼も喉の異常を感じるとの報告、濃厚接触感染は
抗体があっても発病が避けられないことも知りました。

ところが、忘れかけていましたが今回の濃厚感染の恐れは、Aさんと私の
二人だけでなく、同日食事会に出席していた合計「13人」が心配に
なりました。

出席者は、私も役員のNPOメンバーと、そこが運営する福祉事業を推進
していただくボランティアのメンバーで、私も体調回復のリハビリ目的で
参加している利用者の一人で、ボランティアの先生方にはお世話になって
います。

瞬間的にこの先生方や昼食調理の奥さん方の顔が浮かび、感染で苦しむ
姿が私事のように心配になりました。

そもそもこの夕食会は本来8月中に開く予定が、レストランの都合で
9月13日金曜日に変わった会合です。

偶然でしょうがその日が「13日の金曜日」で参加総数が「13人」
だったのですが、主催者もレストラン側も気にしません。

私はゲンを担ぐ性格ではなく、キリスト教信者ではありませんが、
コロナ鎮静のためベットで休んでいる時、「13日の金曜日」と出席者の
「13人」が気にもなり始めました。

世の中の都市伝説として「13日の金曜日」が嫌われ、「13」と言う数字が
不吉と言われるようになったのは、英語圏のキリスト教信者と付き合いが
始まってからです。

その理由はイエスがゴルゴダの丘で処刑された日が「13日の金曜日」と
「最後の晩餐」を行った人数がキリストを入れて「13人」だったからです。

戦後アメリカから入ったキリスト教文化の中で「13日の金曜日」が不吉の日、
物忌み日、そして「13」と言う数字が暗いイメージの数字として、日本人の
心の中に抵抗なくはいってきました。

今回のコロナの感染が出席者全員に広がり、これからの事業に支障が起きたら、
この日が「物忌み」の13日だった、また参加者が「13人」だったからと
気にし過ぎたのは私だけで、ほかの人は誰も気付きませんまた気にもしない
でしょう。

気になって早速、会合出席者の一人NPOメンバーで「Bプラン」責任者の
Yさんに連絡しました。

「ボランティアの皆さんの健康状態は」と問い合わせると

「特別に感染の人も症状の重い人もいない」との返事で「13日金曜日」の
不吉も吹き飛んで安心しましたが、Yさん自身が発病しているとの報告でした。

やがて翌日15日の日曜日、病院にもいかず、部屋に閉じこもり、
コロナとの戦いです。

発熱は経時的に変化し時に37.5度にもなりましたが、平均すると37.3度
ほどで推移し少し体がだるい感じです。

体を動かさずにいるせいか食欲がなく、昼食はクッキー3枚ほど、
あとは通常とあまり変わらない生活です。

咳も時々で激しさはなく、感染症状はその人の体調、ウイルス増殖の程度、
また感染増殖した器官によっても異なるのかもしれません。

たまたま私に感染したウイルスは、流行当初のウイルスから変異し、
弱毒化しているウイルスかもしれません。

しかしA夫人の様子から見ると、感染者の体調と免疫力の違いにより
症状が変わるのでしょ。

その翌日16日は敬老の日の振り替え休日、私が通うクリニックは休診、
診断の相談もできません。

感染3日目、最も顕著に症状が顕性化されるはずですが、昨日と変わらず
小康状態、ただ体全体がやる気力を失い軽い不定愁訴状態、精神的なものか
コロナの後遺症的なものか判然としません。

午後Aさんから電話があり「発熱外来患者としてSN病院に明日行きましょう」
となりました。

Aさんは福祉事業を手広くやっている関係で、夫人が入院した病院やSN病院は
仲間で融通が利きます。

「お願いするよ」

翌日3連休も終わり17日火曜日、昨日までの重苦しい体調がすっかり快癒し、
気分もよくなりました。

午前9時にSN病院を、Aさんの運転で訪れました。

「発熱外来」という別の入り口から訪問ですが、最終的にはウイルス拡散を
防ぐためか、車の中で待され体温を測り、鼻腔の中の鼻汁を綿棒で取り出し、
PCR検査の結果「発熱はありませんがコロナ感染です」と診断が下されました。

すべて専門医でなく看護師の対応で、同伴のAさんも同じです。

「薬で治療するのでしょうか」

「コロナの特別なものはないです、対処療法として必要なら市販の風邪薬で
十分ですよ」との答えです。

コロナ感染者としても看護師たちは驚かず、また特別の隔離も療法もないほど、
普通の風邪感染と扱いは変わりません、それだけこのウイルスに対する扱いも
変わったのでしょう。

コロナ感染を重大事と思い込んでいた私の方が調子はずれです。

帰りに渡された厚労省が出している「新型コロナウイルス 療養に関する
Q&A」には、昨年の5月以降、5類感染症に移行後、コロナ感染者の
「法律に基づく外出自粛は求めません、外出を控えるかどうかは、
個人の判断に委ねられます」となっています。

文字通り特別な感染症との扱いではなくなりました。

すべて自己責任に帰し自分のことは自分で解決しろとなりました。

しかしコロナ発生以後、パンデミックスとして過度に緊張を強いられた
私たちにとって、手のひら返しのように自分で処置しろはないでしょうと
言いたいところです。

しかしこんなことで、腹を立てる前に治療を急ぎ、体調を平常に戻すことが
お利巧と思うようになったのも、恐れていたコロナ感染が私の体の中では
大騒ぎしなかったからです。

その翌日17日、さらに18日と経過し、厚労省のパンフレットに
「発症後5日間が他人に感染させるリスクが高い」との注意日数も過ぎた
19日からは、部屋に閉じこもりの隔離も少しづつ解き、7日目の20日には
外出もしました。

しかし10日間はウイルス排出の危険があるので、高齢者などハイリスク者
との接触は控えるよう配慮しましょうの指示があり、その週2回ある
老人が集まる「Bプラン」の集会への参加を取りやめました。

実質コロナ感染で迷惑かけたのは、この会合を楽しみにしている老人たち
だけで、被害の実態はこれだけでした。

さてさて2020年の1月16日の横浜港停泊のダイヤモンド・プリンセス号
から始まったコロナ狂騒曲は、日本を騒然とさせ大きな感染者と死亡者を
輩出し、ついに私もその仲間の一人になったことをまず報告いたします。

コロナ感染と負の感情を持った発生初期と、なんだこんなものかと
拍子抜けした私がそこにいます。

そうしてこの話は終わります。

2024年9月25日
おくむら よしみ