〜経済発展の著しい国々の表と裏〜
(親日家が多い台湾の人たちの複雑な過去と現在)
2月の中旬以降、約15日間にわたり台湾、インド、タイと連続して
訪問しました。
訪問したそれぞれの国と私たちは、仕事上のお付き合いがあり、それぞれの
国でそれなりの成果を上げてきた過去があります。
仕事上の話は別にして、これら訪問した国々は、アジアの中でも経済的に
発展が著しく、あるいは今後発展が予測される国々ですので、国情の違い、
歴史の違い、民族性の違い、習慣の違いなど、事情の違う経済発展の過程を
知らされながら、私自身それぞれの国から学ぶことも多かった旅でした。
いまアジアの時代とよく言われます。
世界人口の二分の一を占め、近い将来経済の主導権もアジアが握る
だろうと推測されている中で、台湾、インド、タイそれぞれも経済的な
伸びはすこぶる好調で、台湾の10.8%を先頭に、インドの8.6%、
タイの7.8%と対前年比では、順調にまた安定した伸張率を示して
います。
経済的に伸びが止まってしまった日本の2%にも届かない経済成長率や、
アメリカの2.5%と比較しても、時代は次第に新興国にまたアジアの
国々に変わりつつあることも感じます。
「台湾と台湾人の考え」
ことに台湾は、中国との間で歴史的にも政治的にも複雑な諸問題を抱え
ながら、国民の努力とたぐい希な経済感覚と優秀な頭脳で、国民一人
当たりのGDP所得は$18558(2010年)と中国大陸一人当たりの
GDPと比較して約10倍の違いとなり、いまや経済的に豊かな先進国の
仲間となっています。
私の初めての台湾訪問はいまから43年前、37歳のときでした。
1970年代の台湾は「大陸反攻」とか「打倒共産主義」などのスローガンが、
街中いたるところに散見され、戦時下の緊張感すら感じるほどでした。
その後、私と台湾の関係は、畜産の業務を通じ、また技術交流を通して、
さらに有機畜産に必要な生菌剤の開発など、数え切れない訪問を行い、
おかげで沢山の知己友人ができたことが私の財産となっています。
今回もそんな古い知り合いに30年ぶりに面会したり、気心の知れた
同世代と、お互い昔話に花が咲かすことができました。
それと言うのも66年前まで日本との深い関係があり、幸いにも日本人と
日本語に理解をもっている人々が、沢山いらっしゃるので交流が生まれ
たのでしょう。
さらに、初めての訪問から43年たって、その頃の国家管理社会が嘘の
ように、実質的には独立した民主主義の自由な国家となり、国民一人
一人が自由で拘束されない思想と意見と、それを行動に表すことが
できる、豊かな国に変貌したこともあげられます。
しかし今日の自由な意見交換ができるまでには、台湾は台湾の人々は、
厳しく悲しい現実と絶えず対峙した過去があります。
1945年日本の敗戦により、日本は台湾の統治権を放棄し、代わりに
中華民国国民党の支配するところとなりましたが、それに異を唱え、
台湾を独立国にしたいと願った多くの台湾生まれの人の思いは、
新支配者の武力的弾圧で、多くの犠牲を伴って潰え去りました、
その時の無念さを心に抱き、独立の思いを持ち続ける人は、現在まで
沢山いるようです。
さらにその後、中国大陸との間で政治的、軍事的な軋轢の中、1971年
共産中国が国連に加盟、自動的に台湾は国連を脱退し、中国と言う国の
主権は大陸へと変わりました。
その以前以後を通し、約半世紀以上に亘って独立はおろか、台湾の国際的
立場は、揺れに揺れてきた歴史的事実があります。
中国大陸の中華人民共和国との間で争う台湾の中華民国は、台湾国土と
台湾在住民すべてを、政治的に軍事的に統括し、ある時期厳しい戒厳令
状態の国家統制が行われ、自由な発言も行動も制限されました、台湾
生まれの人々の意識の中に、その頃の古傷が黒い渦となって、今でも
心の隅に残っているのも確かです。
2012年1月15日に、台湾の政治主権を決める総統選挙が行われ、
国民党の馬英九代表が大統領に選ばれました。
この国民党は1947年大陸から逃走してきた、蒋介石総統が率いた
中華民国が出発点の政党で、中核をなしている党員は、そのとき本国から
蒋介石主席と行動をともにした人々かその子孫です。
もっとも中国は中華民国が正統だとする人々も台湾の中に多く、その
意識化でグループが作られて一つの政治勢力になっているようで、その
グループを藍連盟(ブルー)といい、その逆に台湾は独自性を持った
国家相当の地域で自由地区だという緑連盟(グリーン)とに大きく
分かれています。
これら全ては、中華人民共和国(大陸中国)を意識する、台湾の位置
づけに対する見解の相違から出ています。
さらに話を進めれば国民一人一人のアイデンティティー(Identity)の
問題になります。
私の勝手な解釈ですが、ブルーの人は中華民国人としての意識で、
グリーンの人は台湾人という認識となります。
この考え方の根底はかなり複雑で、考え方の相違がありますが、
どちらも共通している思いは、共産社会主義は大嫌いだということと、
再度大陸に反攻して、中華民国を再興できるとは思っていないことです。
ご存知のよう現在の中国大陸との関係は、まず経済が先行し、たくさんの
資本と技術が海を渡って、中国大陸の経済発展に寄与していますし、
大陸からの観光客も大挙して台湾に押し寄せています。
私が初めて訪問した頃の緊張はすっかり様変わりしていますし、政治的
にも対立から融和へ舵が切られのではないかと見られますが、台湾人の
本根は今でも独立を望みながらも、台湾の独自性と民主的な思想を堅持し、
現状の両国関係を維持することが賢明としているようです。
多くの台湾人が現状の状態が続くことが、もっとも平和的で摩擦がなく
安全と見ている気持ちが強く、その結果が現状維持を訴えた国民党の
馬英九が再選されたのではないかと思います。
しかし時代は変わり、世界情勢も刻々と変わります。
台湾と中国の関係もどう変化していくか誰にもわかりません。
ただ現在台湾の人が持っている気持ちはそんな悠長なことではなく、
今日の安泰が明日の緊張に変わる事もある心配です。
その心も私は私なりに理解しています。
ただし台湾には大きく分かれる二つの流れがあります。
それは、第二次大戦以前から居住していた台湾育ち(内省人)と、
戦後大陸から逃れてきた中国生まれ(外省人)の系統です。
この人たちの心の中の台湾国土に対する郷愁と思い入れは、また異なる
かもしれません。
台湾の人には二重国籍や、外国の永住権(グリーンカード)を持つ人が
かなりいます。
さらに政治的支配の強かった時代に自由を求めて他国へ移民した方も
多くいます。
その背景は、ご存知のよう大陸中国との角逐の危険を感じたからで
しょうし、また閉塞的な台湾を離れ、自由社会でのびのび生活したい
欲望からかもしれません。
生まれた土地に対する愛着、故郷へ対する郷愁は、人間の本性の中に
あります。
他国に移住しても生まれ故郷は恋しいものです。
そんな生まれ故郷を捨てなくてはならなかった、その昔の台湾の人の
悲哀が少し見えます。
国籍とか市民権とかは、人間が生きていくうえで現在の国際条件の中
では重要です。
世界は一つ人類はみな兄弟と言っても、国と国との間にはいろいろな
利害得失があり、ルールもあります。
台湾の友人や知り合いに、「海外旅行のとき、国籍は何と書きますか」の
質問に「TAIWAN」と書きますとの答えが圧倒的に多いです。
それと言うのも中華民国(ROC)と記述しても、認められず入国でき
ませんので「TAIWAN」とか「CHINA TAIPEI」と
書きます。
というのも中華民国と言う国との国交がなく、中華人民共和国の手前、
中国は一つの国の前提でROCは認められないが「タイワン」と言う
地域の人は認める、そんな便宜を国際社会は図っていることになります。
国際的にはオリンピック参加など「Chinese Taipei
(チャイニーズタイペイ)」とか「Taipei China(タイペイ
チャイナ)」と表記するのが通例のようですが、「Taiwan」と
書いても問題ないところに、国際社会は暗黙のうちに、台湾の存在を
一つの独立した自治区、あるいは国家同等の資格と認めていることに
なります。
もっとも台湾の人の中には「TAIWAN」と積極的に書くことにより、
自分たちの置かれているあいまいな国家意識を、強く認識確認している
人もいるようです。
この台湾ですが私たち日本人にとってはうれしい国です。
それと言うのも親日家が多く、日本と日本人をよく理解してくれる人が
多いからです。
NHKの海外放送、BS放送の視聴者も多く、有線テレビでは日本の
民間放送の台湾版がよく放送されますし、日本のアニメや漫画の台湾版は
子供たちを喜ばせ、街中にあるカラオケ店やスナックのカラオケには、
たくさんの日本歌謡が用意され、またその歌を巧みに唄う台湾の方が実に
多いです。
前述したよう66年前まで台湾の人は日本国民として、日本語は国語で
あった過去もありますが、中華民国に編入された初期、日本語の使用禁止で
厳しく取締りが敢行されたことが、嘘のように現在は日本語が氾濫します。
それはとりもなおさず、その昔日本語で生活した人たちが老人となったが
いまだ健在で、その子供や孫までが、なにかの機会に日本語に接してきた
家庭生活があり、日本に対する親しさを覚えてる人が多いことも感じます。
古い友人の一人、台湾を代表する養鶏農場の社長は「日本から私たちは
学ぶことが多くあるし、世界の中では代表的な先進国で、信用できる国だ」
と信頼を寄せてくれます。
さらに「私の子供、そして孫、全て日本に留学させました。日本人の考え方、
習慣、教養、文化、言語を学ぶことは、将来きっと役立ちます」
日本人としては身の引き締まる言葉です。
昨年3月11日の大災害に対する、200億円に近い義援金の多さを見ても、
台湾国民の日本と日本人に対する思いやりの強さを感じます。
私が今回面会した養鶏関係者も「私たちのグループも義援金募集の先頭に
立って努力しました」との言葉には、いまさらながら頭の下がる思いです。
まして農村地帯の田舎でそれほど豊かでない地方の方の中にも、日本人の
苦境を救おうと言う気持ちを持つのは、日本に対する感情の温かさと
思い入れがなければできないことです。
改めて感謝の気持ちいっぱいです。
そんな台湾との関係は、今以上それ以上親密にしていく気持ちですし、
日本人一人一人が台湾の置かれている実情を理解し、この国の人々と
より一層の友好関係を構築したいものです。
次回は新興国の代表インドについて触れましょう。