学校給食

〜脱脂粉乳は昔のこと、多様化グルメ化した給食〜
(食材の安全性と心配な残留農薬)

早いもので、この間まで赤ん坊と思っていた女の孫が、今年の4月から小学一年生になりました。

「学校が楽しいか?」

「面白いよ、友達も出来たし」

「給食はどう、おいしいか?」

「おいしいよ、残さないで食べるよ」

「なにがおいしい?」

「鶏のから揚げとか、ソーセージとか、とうもろこし、シチューもおいしいよ」

ある日の孫との会話です。

聞くところによると、入学して2ヶ月しかたってないが、給食は当番制で運搬から給仕まで、子供たちが、かわるがわる行っているようです。

学校教育の一環のなかに食育があり、食を通して栄養的な知識、食事マナー、衛生観念、何でも食べられる偏食矯正、当番制による作業勤務など、さまざまな人間形成に役立つよう、知識と行動を教えるようです。それが心身の健全な発達に繋がるのが、日本の教育の考え方で、給食が普及し平準化したいま完全に定着しました。

これらの給食政策は「学校給食法」が昭和29年に施行されてから、より一層重要性を帯びたと思います。

しかし給食そのものは、戦前から行われていた地域もありましたが、戦時中食糧の統制により廃止され、戦後の食糧難のなか、昭和22年ごろからぼつぼつ給食は始まっていました。

当時日本の食糧事情は最悪で、生活の目標が食べること、食糧を確保することが優先していた時代でした。占領軍のアメリカがその実情を救済するため、ララ物資(アジア救援団体、在米日本人会)との名目で食糧を放出、それが学童の給食として支給されたのが始まりと言われています。

その後23年ごろ、ユニセフから脱脂粉乳はじめ小麦粉、25年ごろから本格的にアメリカからの援助が始まりました。

ところで消息通によりますと、この学校給食を仕掛けたのはアメリカの謀略で、アメリカで捨てるほどあまってしまった余剰農産物の捨て場所として、日本の学童に目を付けたのだとの話が誠しやかに語られています。

それまで日本の主食だった米飯から、小麦粉食に変えさせ、将来ともアメリカ小麦およびメリケン粉の最大消費国にしようとした作戦で、それが本当だとすれば、給食を通じ日本人は見事に、パンや麺類などを好む粉食民族に変貌し、アメリカの作戦は成功しました。

当初この謀略と作戦の恩恵を受けたのは、70歳前半から団塊の世代を過ぎた人たちで、コッペパンと脱脂粉乳の給食にはそれぞれ懐かしい思い出があるでしょう。
あんな不味い脱脂粉乳は二度と飲みたくないという話も聞くほど、今考えると粗末なものでしたが、お腹はそれなりに満足したようです。

ところが戦争中、小学校と中学低学年を過ごした私には、残念ながら学校給食の恩恵にあずからず、思い出もありません。ですから学校給食のおいしさや楽しさを知る機会には恵まれませんでしたが、子供たちや孫たちから給食内容を聞いて、実態がどんなものかの参考にはします。

そして今日現在は、コッペパン時代と違い、材料も調理も多彩で、学校給食を通じて、グルメ児童を作るのではないかと言えるぐらい、豊富なメニューです。

その上、エネルギー総量からたんぱく質量、ミネラルビタミンまで計算されつくし、限られた予算の中で毎日献立を変えている努力が見られます。

地方によっては、地産地消の合言葉で、地場農作物、畜産物、水産物を積極的に使用したり、パンや麺類から米飯を多く取り入れるところも増えてきました。

ことに米余りの現状打開のため、政府も昭和50年ごろから、米の給食を推奨もし、最近は週2回から3回は、炊き込みご飯、カレーライス、ピラフなどの米主食の献立も増えています。

飲料は脱脂粉乳の昔から牛乳は定番ですが、牛乳以外のジュース、お茶など飲料の導入もバラエティーを豊かにさせているようです。

加えて現在の児童の中には、アレルギー体質で、ある特定の食品は摂取できない子も多く、それなりのメニューなど配慮が行き届いています。

一昔前までは、教育的指導で残さず完食する事が義務つけられていましたが、いまは残すことも自由のようです。

それがため好きなものは足りなくなるよう奪い合い、その逆に喜ばれない献立は余るようで、子供の嗜好はまったく気まぐれです。

孫の学校での昨年1年間の、好き嫌いの食品の残食状況が発表され、そのランクを見ますと、圧倒的に好きなものはフライ物、嫌いなものは煮物と魚物、それに豆のようです。

ちなみに1位は鶏肉の竜田揚げ、2位は鶏肉のから揚げと鶏肉が続き、3位がウインナーソーセージとなります。いずれにしろ10位以内は肉料理が7品目、他の2品目はフライポテトと鯵のフライと、やはりフライ物、1つだけ白玉雑煮というメニューがありました。

嫌いなものの代表は野菜類、菜類の炒め、野菜のふくめ煮、また独特の味のついた南蛮漬け、ショウガ味やゴーヤ、味噌おでんなど、あまり子供に舌に馴染まず、家庭の食卓にも乗らないものが残されます。

孫に聞くと人気のあるものにデザートがあります。最近の給食はデザート付きかと驚きますが、これも栄養バランスの上で大事なようで、ケーキやプリン、時によりアイスクリームもあるようです。

こう見てきますと、年配の人が味わったコッペパンや脱脂粉乳が返って懐かしく、時代の流れと給食の様変わりを、給食を知らない私が感じるほどです。

ところで、食育の一環としての給食の材料が、どのようなものかについてはあまり論じられません。

もちろん食中毒を起こす細菌汚染のチェックはかなり厳しいと思います。何年か前、カイワレ大根の大腸菌O−157での集団中毒事件は今でも記憶にあり、病原菌に対する安全検査には神経を使いますし、遺伝子組み換えにも神経質です。

ところが農産物の農薬残留、畜産物の薬物残留は話題になることが少ないです。

ことに私は、農畜産物生産に強い関心を持つ仕事をしている関係で、輸入農産物を含めその安全性にいささか疑問を持ています。

それは農作物、畜産生産物への薬品の多用です。

生産性第一主義の政策が、勢い化学合成剤の即効的効果に期待し、経済的な面もあって、抵抗なく使われている過去と現在があります。

化学肥料から消毒薬、殺虫剤まで、膨大の数量の消費が毎年なされています。

当然、それらの化学物質は、農作物に残留しますし、土壌を汚染し河川に流れ出し、飲料水にも影響をきたします。

もちろん、許認可をつかさどる農水省や厚生省は、安全と認めることで許可をしていますが、病虫害に効果があることが前提ですから、虫が死ぬ薬が人間には安全か否かは微妙なところです。

畜産動物への薬品の使用も、一頃から見ると少なくなりましたが、なくなった訳ではありません。

宮崎の口蹄疫の現場で見られる消毒剤にしても、ウイルスを殺すだけでなく人間の健康にも影響します。

これやそれやで、神経質に考えますと、食材の安全性は担保するのは難しいことで、まして決まった予算の中で食材を選択しなくてはならない現場は、価格的優位な輸入農産物、畜産物を無視できません。しかしこれら外国産に薬品残留があるか無いか、安全なのか危険なのか分かりません。

ひとつの例として、韓国の学校給食の食材選択について述べましょう。

私どもと関係ある鶏肉生産会社は、学校給食用に無薬の有機鶏肉を生産しています。
文字通り生まれたひよこの段階から、薬品を一切使いません。そのかわり私どもが供給する、生菌剤飼料を餌に添加し、病気発生を防御しています。

そんな手のかかる、生産コストも少し高い鶏肉を、真剣に生産しています。

その背景は、政府の積極的な有機生産物の奨励政策があり、畜産物だけでなく農産物も同じように無農薬を原則としたいようです。

それはとりもなおさず、将来性のある子供の健康を考え、せめて学校だけでも無農薬の食材を使おうとする姿勢です。

私どもは有機農産物生産の資材、フミン物質を韓国に輸出しています。この物質は有機農産物を作るうえで、廉価で高い効果が期待されるものと、韓国政府が試験しそれを認め、50%の補助金を出して有機農産物生産に貢献しています。

この試みの意図は、化学物質で汚染され尽くした国土をまず美しい土壌に作り変えよう、そうして流れ出た地下水が綺麗で、それを飲用する市民の健康が安全であることが真の狙いです。

未来志向のエコロジーな考え方です。

その考えに協力する農家や畜産業者には、50%の補助金を出し、そうして国土を環境を浄化し、あわせて安全な農産物を全国民が摂取することが、韓国民族の将来の発展に繋がるとの考えで、高慢な哲学を感じます。

その思想が学校給食にも現れ、化学物質に汚染されない食材が第一番となり、それを裏付けるよう、私どもの生菌剤と天然フミン物質の需要が伸びています。

さらに畜産への抗生物質、抗菌剤の使用がこの秋から禁止され、2012年までに徹底する政府通達が発令されるようです。

もしそれが徹底すれば、輸入畜肉を抑制する、安全性の高い韓国産の牛、豚、鶏、アヒルの肉が市民に供給されることになり、輸入食肉の洪水の日本で、実行されないだけにうらやましい限りです。

もし可能なら日本も、学校給食だけでも、農薬や抗生物質の残留のない、食材を選択してもらいたいものです。